何かの本で読んだことがある。

この世に誕生すると、この世の苦しみを味わうことになるので、赤ちゃんの誕生を喜ばない。

逆に、死はこの世の苦しみから解放された幸せな世界へ行くことになるので、死を大いに喜ぶ。

どこかの民族の話だったように記憶する。

この世は苦しみだけではないので極端すぎる話だが、その民族では苦しみが多いのかと思った。

死は悪ではない。

人はこの世に誕生した時から皆死に向かって生きている。

早いか遅いかの差はあれど、皆必ず死に逝く。

誰もが避けては通れない死。

〝死〟について話すことを縁起が悪いという人もいるが、死はとても尊いもので、時間をかけて考える必要があるテーマだ。

50歳を過ぎると、なんとなく自分の死についてふと考え始めたりする。

それと同時に、徐々に両親の死についても考えざるを得なくなる。

安らかにこの世を去ってほしいと言うのが共通の思いだろう。

安らかにこの世を去る、とはどういうことか。

それは、この世で成仏してから死ぬ、ということ。

死んで肉体がなくなってしまった後に成仏するのは、とても大変なことだからだ。

では成仏とはどう言う意味か。

それは、この世に未練を残さない、ということ。

この世に未練(負の想念)を残してしまうこと、、、それが不成仏霊だ。

肉体がなくなった後、想念(意識)だけがこの世を彷徨っている。

つまり、、、

死とは、肉体がなくなるだけのことを意味する。

意識(魂)は永遠だ。

死は当たり前のことなのに、自然に受け止めることができない人が大半だろう。

死は、悲しい出来事ではない。

死ぬのが嫌だとか怖いとか思うのは、やり残していることがあるからに他ならない。

本当に生きる意味を知り、活き活きと生を全うしていれば、最期の時も未練を残すことなく、喜んで次のステージへ行くことができる。

最期の時にどんな心の状態であるかが重要だ。

両親と一緒に死について話し合うのは、とても良いことだ。

両親が死に対してどんな考えを持っているのかを聞くいい機会になる。

また、両親や家族の死に直面した時、自身の心の持ち方についても考えることになる。

死ぬ時にこの世に未練を残さないようにするのと同様、見送る立場の人も死にゆく人に未練を残してはいけない。

逝く人も見送る人も、未練を残していてはお互いが成仏できない状態となり、お互いが苦しむことになる。

だから、、、

やり残したこと、言い残したことがないように、毎日を過ごすことだ。

明日生きている保証はどこにもない。

今日が人生最期の日だとしたら、何をするか。

そうやって日々過ごすことが、後悔のない人生を作る。

幸せな死を迎えるには、この世に想いを置いていかないことだ。

私には、この世を楽しませてくれた肉体に感謝をし、最期に「充実した人生だった。ありがとう」と言って笑顔で死を迎える自分の姿が想像できる。