アメイジング・ジャーニー〜神の小屋より

罪は、それ自体が罰

今日は、映画のご紹介♪

『アメイジング・ジャーニー〜神の小屋より』

石田純一の娘、すみれちゃんが出演しています。

正直、一言でいうと、重い映画。

私の中では、スピリチュアル系第一位です(笑)

私はキリスト教徒ではありませんが、宗教は関係なくとても素晴らしい映画だと思いました。

人間の究極のテーマである〝赦す〟ことができるかという、とても深いストーリー。

あなたは自分の子供を殺した人間を赦せるでしょうか・・・

人間を創ったのは神。

人を殺した人間も、殺された人間も、同じ神の子。

殺された子の親も、殺した人間の親も、神の子。

もちろん、私もあなたも神の子 😀

当然、神にとっては、どの子も平等にかわいい。

想像してみてください。

あなたに子供が2人いるとして、もし、どちらかがどちらかを殺してしまったら・・・

たとえ人を殺めてしまった子でも、自分の子はかわいくて憎むことはできないはず。

それが、親というもの。

神も同じです。

だから、神は人を裁かないし見捨てもしない。

神様は、私たち人間(子供)が何を言っても何を聞いても「お〜、そうか」としか答えないとか。

「パパ〜、〇〇ちゃんが、〇〇ちゃんを殺してしまった〜」

「お〜、そうかそうか。」

なぜでしょう。

ネタバレで申し訳ないですが、「罪は、それ自体が罰」という言葉が全てを語っていると感じました。

この映画の中のセリフ一つ一つに、とても重みがあり共感し納得しました。

私的には神の究極の愛を感じる映画です。

〝罪〟や〝赦し〟について一考する良い機会になる映画だとも思います。

ジャッジメントのない世界

人が人を裁かざるを得ないこの世界。

実のところ、何が善で何が悪かは誰にもわからない。

罪を犯せば裁かれますが、本来、人が人を裁くのはあってはならないことなのかも。

私は死刑制度には賛成できかねます。

死が罪を消せるわけもなく、死で罪を償えるとも思えないし、ましてや亡くなった人が生き返るわけでもないです。

罪を犯した人間が死ねば、遺族の心は晴れるのでしょうか。

答えは、ノーでしょう。

誰もが心の奥底ではわかっているはず・・・

それなのに人は〝赦す〟ことができない。

究極の愛とは、赦すことなのではないでしょうか。

話がそれますが、死刑制度と同じくらい賛成できないのが、余命宣告。

人が人の余命を宣告するなんて、ありえない・・・

中には余命宣告によって思い込みでその通りに亡くなる方もいると思っています。

死刑宣告も余命宣告も、その人の命の長さを宣告しているのは人間。

人間って、残酷な生き物だと思いませんか?

この映画の元となった原作は、ウィリアム・ポール・ヤングの『神の小屋』

ただただ、凄い人だな〜と思います。

こういう小説や、SFやファンタジー映画って、想像だけでは作れないような気がしています。

小説家や映画監督は、実は自身の体験をもとにして作っているのではないかな〜😏